孤毒の果て

成人後自閉症スペクトラム、アル中・双極性障害とも診断される診断された当事者ブログ。孤独な男。据え置きゲームを処分して趣味はカメラへと移行、ミニマル生活へ。

共同経営はやめろ、やるなら1人で独立だ②

kotokunohate.hatenablog.com

利益が出ても潰れる。経験談

俺の経験談だ。 今考えれば阿呆としか言いようが無い。20歳そこそこで10歳以上年上の人と共同経営を始めた。仕事内容はあまり関係ないので伏せておく。俺は事務処理、PC関連業務。相方は外回りの営業や倉庫での力仕事だ。権利も決定権も報酬もすべて半分。俺比較的慎重はだったので事業計画書は半年以上掛けてつくり、事業で使うプログラムやWEBサイトも事前に準備しておいた。当時契約社員かバイトをしていた、それだけで生活ができていた。 準備が整った段階で共同経営を初めてすぐに軌道に乗った、運もあるがある程度予想の範疇内だった。売上も利益も右肩上がり。時給換算しても最低賃金以上はあったが、計算外の事が起きた。
相方の共同経営者のサボりである
相方は事業計画書やプログラムやWEBサイトなど準備には携わっていない。相方が事時何を考えたのかはわからないが、勘違いしたのは間違いないだろう、「簡単にもうかる」「簡単に起業できた」と思ったのだろう。そこから相方がおかしくなった。勤務中に私用で職場をぬけ出す。遅刻。欠勤。それでも会社は動いた、なぜなら全部俺が穴埋めをしたからだ。
この時俺はもうこいつはダメだと思ったが、他社との契約や貯金がそこをついていた為辞めるに辞められない状況だった。そしてこの会社全ての登記情報は相方名義、何か言えば俺が邪魔だと言われるのはわかっていた。が会社がヤバイ方向に進んでいるのはわかっていた。仕方なく経営会議をした。すでにこの時相方と俺の、知識量や会社の細かな状況を把握しているのは俺だけ、どれだけ説明しても、利益が出ているから相方は耳を持たなかった。そして出た答えが労働者がいるならバイトを雇えばいいという回答だった。もはや共同経営ではない。実質登記情報は相方の為、権利の分配は口約束だったのだ。バイトを数人雇う事になった。当然人件費で赤字は出すのはわかっていたそれも相方は耳をかさなかった。俺は現実を見たら意識も変わるだろうと思っていたが、あまり変わらなかった。数カ月後仕方なくバイトを首にすることになった。 相方はどうなったかって?会社が潰れないギリギリのサボりをするようになった。ただ存続させる事しか刺せなかった。

俺は1年以上掛け廃業計画を裏で立てた。最終的に赤字は出さずに少額だが+で廃業したと思われる。経費で購入した備品や PCが周辺機器その他もろもろでもそれなりの金額の物が多々あった、更に辞める時点で口座残高にも十分余裕があったが一切権利を放棄して縁を切った。なぜなら最後の金の分配等では揉めるとわかっていたからだ、しかも一日程度では話は終わらないだろうと思ったからだ。俺はある程度廃業処理をやって、今後の手続きの流れを書類にまとめそれを相方に渡して、これ以上付き合いきれないと言い辞めさせて貰った。

そして後悔。

相方が無能・腹黒さを見抜けなかったことだ。そして最初に互いに書面での契約書を作らなかったこと。アホ過ぎる。 俺は裏で廃業計画時に法律相談等行ったが、貴方に権利が無行ことは無いが証明するのが大変、早く縁を着ることを勧められた。

相方がサボらず週五、日に8時時間労働さえやってくれれば十分利益が出る会社だった。そして俺はこの会社を立ち去る時後悔した、自分一人でやっていれば成功していたと。

結局独りで起業するのにビビっていたのだ、共同経営者がいればいけるかもしれないと思った。そして相方の人脈。コミュ力も当時は魅力だと思ったが、そんなのは最初だけだった。人脈もコミュ力も嘘っぱちのハリボテ、嘘つきで有名な奴だった。それを知ったのはこの会社を辞めた後に仕事で知り合った別の会社の社長からだった。

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